運営者の想い|
〜経営者・会社員・個人事業主・フリーランス〜
ビジネスに携わる人を表すワードは多くあれど、土俵や環境が異なるだけですべての人が「ビジネスパーソン」であることに変わりはない。
〜本業・副業〜
この2つの言葉は収入の比重を表すものであり、努力の比重を表す言葉ではない。
どちらも同じ「ビジネス」である。
働く全ての人に伝えたい。
売上・利益・キャリアなどなど。
ビジネスに関わる「おかね」や「地位」を獲得するには、その仕組みと本質を理解することがなによりの近道である。
「世の中に溢れる成功に繋がるヒントを、感覚的にぼんやり捉えるのではなく実際の行動に落とし込めるようにすること」
これが、私がこのブログサイトを立ち上げた理由のすべてです。
はじめまして|
こんにちは、YK Growth Partnersです。
飲食業界で16年。
開業から1年での撤退、経営者の夜逃げ、200万の借金。
経験値や能力が未熟なタイミングでの地獄のような経験を経て、世の中の「おかねの仕組み」を解き明かすため、大手飲食チェーン企業の新業態開発部門の初期メンバーとして就職。
開業準備・商品開発・メニュー制作・人材育成・業績改善・HP制作・経営企画等を経験。
企業で得られた「ビジネスに関するおかねの仕組み」を他業種でも活かせるかに興味を持ち、本業の傍ら35歳で個人事業主としての活動を開始。
HP制作やコンテンツ販売、MLMなど多種多様な業界に踏み込み、約2年間で10以上の副業に挑戦。
これまでに培った経験と知識を活かし、現在はHP制作、セミナー講師、経営コンサルタント、ブログサイト運営、MLMなど、5つの事業を展開しています。
22歳での開業経験|
まだ飲食業界に入って2年目の頃の話しです。
当時務めていたレストランで人生を変えてくれたシェフと出会い、その人のもとで1年半働いた後、独立するという話しを聞いた私は「こんなすごい腕を持つ人が出す店なんだから、絶対に繁盛する!!」と考え、会社を辞めついていくことに決めました。
2年程度の飲食経験しかない私はもちろん無給、店の利益が出て自分の給料を捻出できるまでは店に寝泊まりし、端材から出る食材で作る賄いで飢えを凌ぎながら生活をする日々でした。
そんな日々を過ごして半年後ようやく手にした10万円の給料が、人生で最も重みを感じたおかねであったことは今でも覚えています。
23歳での廃業経験、残ったのは借金のみ|
給料が出始めたからといって、店の状況が良くなったというわけではありませんでした。
当時の私は経営についての知識が皆無だったため利益が出ているかどうかなんてことは考えもしなかったですが、集客状況を考えると利益は出ていなかったことでしょう。
そんな状況が続き開業から1年が経とうとした頃、シェフから店の経営状況が芳しくない事を聞き、撤退も考えているという状況も伝えられました。
恐らくほとんどの人はこの状況に陥った場合に次の就職先を考えたり、店が潰れた後のことを考えたりするかもしれません。
ただ、何度も言うようですが当時の私は経営含め「ビジネスに関するおかねの知識や仕組み」をまったく考えたことがなかったため、腕の良い料理人が1年程度で撤退なんてしてはダメだ、この人のチャンスを奪ってはならないという謎の使命感から親や金融から借金し、気がつけばなにも言わずに150万ものお金を渡していました。
そしてそれから約半月後、彼は私の前から姿を消しました。
ただ、そこで私が感じたことは、お金を持ち逃げされた怒りでも裏切られた悲しみでもなく、
「なぜこれほどまでに腕の良い料理人が経営している店が潰れるのだろう」
という疑問でした。
ここまで書いておいて言うのもなんですが、150万の借金をしてまで渡したお金を持ち逃げされておいて真っ先に出てきた感情が「疑問」だったのは、あまりにも頭のおかしい人間だったということは自認しています。
ただこの疑問を持てたからこそ、ビジネスに関するおかねの仕組みを探求する推進力となっているのだと考えています。
再起への道|
150万の借金と共に疑問を抱えた私は、店舗の立ち上げから経営までのノウハウを学ぶため、オープニングスタッフを募集している会社を探していました。
そして、大手ファーストフードチェーンが新たに手掛ける新業態のオープニングスタッフを募集しているという求人を見つけ、再就職を果たしました。
そこからの2年はあまりにも目まぐるしい日々でした。
初年度で料理長・副料理長・店長が退職し、残された社員は3番手の私と副店長の2人だけ。
たかだか4年程度の飲食経験しかない私が自動的に料理長となり、商品開発から仕入先の選定や商談、メニュー制作まで請け負うことになりました。
店の営業が終わってから繁盛店へ足を運び、片っ端から看板商品を食しては店に戻って試作をする日々。
仕事疲れや睡眠不足よりも、店をイチから築き直していく楽しさと努力が徐々に実っていく達成感をいまでも覚えています。
なにより自身が責任者となったことで、部門長からP/Lの読み解き方やExcelを使った損益計算書の作り方など、経営に関する知識を直接叩き込んでもらえたことで、早い段階から数字に触れられたことが大きかったように感じます。
大手の飲食チェーンなのに仕入れルートの選定や商談、メニュー制作を店舗の人間がやるの?
と疑問を持たれた方もいるかと思いますが、ファーストフードチェーン企業だったこともありイタリアンに関する知識やフルサービスのノウハウを持つ人材がいなかったため、大手企業とは名ばかりの圧倒的ブラック部門だったのはいまでも良い思い出です。
激動の日々|
料理長に着任してから約2年後。
当時の店長と抜本的な改革を進め、幸いにもお客様からの支持を得られたことで店舗展開を果たし、気がつけば12店舗を抱えるマネジャーになっていました。
マネジャーになってからは人材育成や業績改善を中心に担いながら、人事部や経営企画に対して積極的に声をかけ、本部の研修を受けながら経営のノウハウやおかねの仕組みを8年間学びました。
経営に関する情報やおかねの仕組みを学ぶ機会に多く触れられたことは、東証プライム上場企業に就職して良かったなと思えた瞬間でした。
ちなみに、借金は元本の返済ができないまま延々と利息だけを払い続け、親からの借金含め総返済額が200万を超えた時に債務整理を行い、約4年をかけて完済しました。
新たな疑問と挑戦|
激動の日々を過ごし、ある程度の経験値と経営のノウハウやおかねの仕組みを学べた頃、新たな疑問が生まれました。
それは、
「もし自分が起業するとしても、飲食店しかできないのだろうか」
「自分が経験してきたことや貯め込んだ知識は、他の業種にも適用されるのだろうか」
という疑問でした。
そしてその疑問が生まれた翌月には自分が出来そうな副業を探し、時には新たに勉強し、約2年間で10以上の副業を経験しました。
副業に関しての情報については記事にて投稿しておりますので、詳しくはそちらを読んでいただけると幸いです。
新たなステージへ|
副業を初めてから1年が経った頃には、始めたタイミングが良かったこともあり本業からの収入と変わらない収益を生み出すことができ、そこで私は「ビジネスにおけるおかねの仕組みの本質」に辿り着くことが出来ました。
それは、
専門的なスキルを持たずとも、収支の仕組みと心理を理解し正しい手順で進めさえすれば、収益を生み出すことはできる。
という結論でした。
そして現在、定期的にビジネスセミナーを開催しながらHP制作・経営コンサルタント・ブログサイト運営・MLMなど5つの事業を展開。
さらなるビジネスチャンスに挑むべく、新たなビジネスパートナーを募集しながら挑戦を続けています。
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